ピカソとの日々 和訳(1)
2023年10月15日
LIFE WITH PICASSOの英語版を購入したのですが、和訳のKindle版がなかったので、日本語訳したものを以下にメモしておきます。
フランソワーズ・ジロー(1921産まれ)は、生物学者の父と芸術家の父の間でパリに産まれました。
彼女は絵のトレーニングを早いうちから開始し、5歳の頃には絵描きになろうと決心しました。
彼女は後ほど父の奨めで法律を勉強しますが、第二次大戦の頃には絵描きに戻りました。
ナチス占領下のフランスではアートは検閲を受けたため、早いうちからシンボルに強く頼るようになりました。1943年に、ジローはピカソに出会い、10年を同居しました。
彼らは二人子供を作りました。1947年にクロード、1949年にパロマが産まれました。
1950年に、美術商のダニエルヘンリーカンウェイラーは、ジローを彼のギャラリーで契約を結びました。
1953年のピカソと離婚した後、ジローはシュールレアリズムの芸術家のルークサイモンと交際するようになります。
彼らは1955年に結婚し、翌年に娘のオーレリアが産まれましたが、1961年には別れることとなります。
ジローは1960年代初頭にアメリカで個展を開き、1962年にはTateギャラリーが、彼女の彼女がテセウスとミノタウロスの神話についての抽象画シリーズを描いたスタジオを提供しました。
1969年には、ロサンゼルスでの個展の後、彼女はJonas Salkと会います。彼らは1970年代に結婚し、Salkが1995年に亡くなるまでカリフォルニア、パリ、ニューヨークで生活と仕事をしました。
ジローのアメリカでの期間は大胆な色使いと動きが特徴的です。
絵を描くのに加えて、ジローは「インターフェース:画家とマスク(1975)」「マティスとピカソ:アートにおける友情(1990)」、Lisa Altherとの共著「女性について:作家と画家の会話(2016)」 を含むいくつかの本を書きました。